徒弟制度について
徒弟制度は、師匠について学ぶ制度である。吉本興業のスタイルも現在では、NSCで学ぶ学校スタイルになっている。
寿司職人が師匠について、一人前になるのに5年〜10年かかる。ラーメン屋も同じだ。現代では二つの点で敬遠される。一つは、時間がかかりすぎる。もう一つは、師匠への絶対服従が求められることである。例えば、お笑い芸人の例で言うと、素早くテレビのひな壇に出るために、養成所で学び、実践する。即戦力が出来上がり、テレビ局側としては使いやすいと思われる。しかし、型にはまっていて全く面白くない。もっと破天荒な人が出てこないと今後もテレビを見る人はいなくなると思います。
(*下記は、2010年のデプスインタビュー調査結果なので、現在はもっとテレビ離れしていますよね。)
ただ学習の機会は、徒弟と徒弟の関係であり、多くの徒弟が存在する学校スタイルの方が学習になるのかもしれない。一人でwebやyoutubeを見て、面白かったことを学校で共有するのが現代の学生のスタイルのようである。
テレビも昔はそうだったのではないか。テレビでやった面白いことを学校で真似するのがテレビの価値だった。その真似すること自体がテレビからyoutubeへ移っただけなのかもしれない。
上の資料から面白いのは、高校生になるとゲームから音楽やスポーツへ移行してくると見て取れます。やはり感動を得たい。感動を友達と共有したい。ゲームでは、感動を共有できないと感じているのではないか。また、テレビとyoutubeの違いは、youtubeは、いつでも見れるところに差がある。現代人は時間を大切にする。過去の日本は、効率性重視であった。時間を買うようなことはしなかった。現代人は明らかに時間を買っている。それも自分の時間だ。徒弟制度が受け入れられないのは、制度自体の古さではなく、自分の時間を奪われることへの抵抗感からくるのではないかと考えられる。
これからの日本の教育は、個人の時間を有効に使うindivisualな教育。つまり、集団教育から個人教育へ。個人から集団へ。集団から個人へ。などのコミュニティ間の融合ができる環境が必須ではないか。個人スタイルの時間を多くする必要があるので、skypeのような環境で座学を終え、集団で議論し発散する。その上で新しい発想を手に入れ、文字にしレポートを提出するなどの環境が良いかもしれませんね。暗黙知を形式知に変える話と似ています。
*SECIモデルでの具現化が可能であれば、取りこぼしのない議論が成立し、新しいアイディア発想を取り入れることができるかもしれません。
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